【著作紹介】


タムタムタイムズ

季節の風に笑いをのせてマジメ教員のオモシロ通信

著者: 田村淳裕  千書房刊(2010/11) 

 

 私立中高一貫校に勤めて36年、その終わりの3年間に、受け持っているクラスの生徒を対象に「国語科担当者通信『タムタム タイムズ』」という、今どき珍しい手書き、B4版両面印刷の新聞を発行しました。「タムタム」というのは私の通称です。

 生徒の皆さんには勿論、保護者の方々(「お母さんが楽しみにしてまーす」「お父さんが読んで笑ってました」)、職場に息ぬきをと配った同業者(始めはごく少数の人たちが、ほどなく管理職を除くほぼ全教員)に、たいへん好評だったと、自分では思っています。

 職員室で「雑用が多くて『タイムズ』が書けない」とボヤいたら、隣の教員に「そっちが雑用だろ」と言われました。管理体制の強化とコンピュータによる仕事の効率化が進むなか、今にして思えば、自分の精神のバランスをとるために必要だったことで、本紙の発行に救いを求めていたのかも知れません。

 学校行事で訪れた卒業生に「『タムタム タイムズ』あります?」と聞かれるようになった刊行3年目の2008年秋、そのバランスが崩れたと見え、定年退職まで2年を残し、翌年3月に辞めました。最後の職員会議に臨む前日、ある教員から本紙と同体裁の3枚綴り「タムタム タイムズ」を手渡され、「アレッ、こんなの出したかな」と驚いて見ると、それは諸先生方の短文を集めた、言わば「タムタム タイムズ」の教員版でした。かけがえのない私の宝物となっています。

 退職後、自分の勤めてきた証に、そして潤いの無い現代日本の社会にゆとりのひと滴を落とせたらとの思いが強まり、本として出版することにしました。

 3年に渡るバラバラな文章をどうまとめるか考えた末、俳句の世界の五季、春、夏、秋、冬、新年という章を設け、その季節に入らないものは、前後の文章を勘案して組み入れることにしました。例えば、本紙に散在する「オシャレでダジャレな○○の名クイズ」(ex.「麺類の名クイズ」より Q「森の近くに住む人が好むのは?」……A「モリソバ」)、シリーズ「いたらイイよね こんな人」、「教養講座 日本史探訪」などがそれです。

 心あたたまる授業風景や動物の話などはかなりおもしろいのでは、と思いますが、傍ら哲学的な(何を「哲学的」と考えるかは人によって違うが)エッセーがあり、引用や自作の詩も多く、割と楽しめる一冊ではないかと思うのですが。(by 田村)




 

 

キャメラマン魂日本映画を築いた撮影監督たち   

 石渡   (編集) フィルムアート社(1996/09) 

 

 私が1992年より1年間文化庁の在外研修員(映画部門)として主にロサンゼルスで留学中、知り合った人を介して、現地の邦人向けの月刊誌「VOGA」から私の活動について取材を受けました。それは見開き2ページの‘People’という人物紹介の企画です。

 その後どういうわけだか、その雑誌の編集長から「次回から石渡さんが立場を変えてインタビュワーになり、シリーズとして連載したいのですが」という要望を受けました。

留学中であり、私の気分のテンションもハイになっていたのだろうと思います。軽率かな?とも思いましたが、彼の依頼を引き受けたのです。それが今から書く私の著作歴の始まりでした。

 現地で知り合いの知人、撮影スタッフへの取材を終え、原稿を書きましたが、さいわいに好評だったこともあり、帰国後もしばらく連載の継続を求められました。私は映画キャメラマンなので当然ながら、日本で活躍された先輩たちを取材対象者に選ばせていただきました。そんなことをしているうちに「VOGA」で取材した内容を別の形式に構成し直し、できれば出版できないものかと考えたのです。

 そこで知人の田村勝弘氏のつてを頼り、日本経済新聞社の文化欄を担当されていた波多野美奈子さんに、私と6名の実績のある名撮影監督との対談集に書き直した原稿を見ていただいたところ、日経新聞の日曜日(全国版)の文化欄に連載しないかと勧められたのです。思いがけない抜擢で嬉しかったのですが、私は本作の性質上、毎日読み流されていく(失礼)新聞の連載には不向きであると、ずうずうしくも波多野さんに訴えました。そこで波多野さんが知り合いの出版社を探してくださり、そのうちの一社フィルムアート社から興味を示していただき、上梓できる運びとなったのです。以来フィルムアート社とは翻訳書も含めて合計6冊も上梓が叶い、自作を発表するホームグラウンドのような出版社になっているわけなので、大きな縁(私も若いころからフィルムアート社の本の愛読者だった)を感じますし、また大変に感謝している次第です。

 しかし、私の処女出版ということもあり、自分の意思でお願いした本のタイトル「CAMERAMAN’S SOUL」は「キャメラマン魂」に変更され、本の装丁も自分の意図していたものから離れ、自分の思いが届かなかったことが悔しく残念でした。その後、自作の書籍のサイズ、たとえばB5判、A4判、四六版などの大きさや装丁のデザイン、帯のコピーなども積極的にアイデアを出させていただくことにしています。

 私は、本を上梓するという煩雑極まる困難な作業全般を通じて、取材することの難しさ、自分の未熟さを思い知りました。加えて上梓した著作が全国の書店に並ぶ、つまり自作が発表されるという充実感を知りました。対談させていただいた撮影監督たちからの労いのお言葉だけでなく、ときには辛辣な批評はありましたが、さまざまな面で映画製作という共同作業しか知らなかった私が、個人としての創作に目覚めたのです。

 後日、日経新聞の文化欄「あとがきのあと」のコーナーで私と本作を取り上げていただいたときに、記者の方が、私に映画製作と本の著作の根本的な相違を尋ねられたので、私は「映画が集団で戦う球技だとしたら、著作は個人で戦う格闘技ですね」と発言したら、それがその欄のサブタイトルになりました。この考え方はいまだに変わっていませんし、映画制作と個人制作を業とする私の基本的なスタンスになっています。

 さらに有体に云えば、私はこの時点で書くことの喜びと、それを読者に知ってもらう楽しみを覚えたのです。(by 石渡)





ひまわりとキャメラ 撮影監督 岡崎宏三一代記 

 石渡 均 編 三一書房刊(1999/5/10)

 

 前作『キャメラマン魂』が映画の撮影に対する総論だとすれば、本作はその各論にするつもりで、私の師匠にあたる岡崎宏三氏の人生(その時点で80歳)と技術論をさらに詳細に書き込もうと企画しました。取材を開始した時点で出版社が決まらず、岡崎さんに大変に申し訳ないと思いましたし、撮影の仲間たち、とくに先輩たちから「石渡が岡崎さんとなにかヒソヒソとやっている・・・」という噂がたち、誤解を受け、苦しみました。もちろん、私も出版社が決まり、正々堂々と本づくりをしたかったのですが、ある程度形にして出版社に持ち込み、企画のGOを得るしか、他に手段を持ち合わせなかったのです。

そういう状況のなかで岡崎さんに対し、43時間に渡りロング・インタビューを敢行させていただきました。救いとして、岡崎さんがどうしても自分の撮影人生を書き残し、後世に語り残しておきたいという強い願望をお持ちになっていたことや、基本的に今までの私とのお付き合いから信頼関係の上に立って取材ができたことがあり、それだけを頼りにスタートした企画です。

 取材の進め方は私が質問したい内容を整理し、岡崎さんにFAXで事前に知らせておいて、その質問を土台に岡崎さんに準備をしていただき、主に岡崎邸の応接間でインタビューを行いました。本の作り方は私の質問に岡崎さんが応えるという質疑応答形式で、それを録音し、私が文章に書き直すというものです。出来上がった本に私の質問の部分はありませんが、それは私の意図として岡崎さんが、直接読者に語りかけるという形式で書きこんだほうが内容に説得力を感じ、効果があがるのではと考えたからです。

誰でも対象者に取材をして、その録音した音声を聞き返すと気がつくと思いますが、話し言葉をただそのまま文章に移し替えても、ほとんど意味が通じないのです。それほど口語と文語の差異は甚大です。岡崎さんは頭脳明晰、記憶力抜群であり、話し方はウイットに富み、理路整然と話されていますが、それでもそうなるのです。

 私はその経験から取材の難しさ、また一方で取材から得られた素材を構成する面白さを知りました。そして、なにより映画の過去や作品の価値を再認識する勉強の場を与えていただけたのです。私のキャメラマンとしての意識変革にもなりました。

1年間の格闘を経て初稿ができ、それを岡崎さんの知人の大手出版社の社長に見ていただき、企画会議にかけられました。結論は「この作品に資料的な価値は見出せるけれど、3千円程度の価格をつけ、3000部は売らないと弊社では商売になりません。そういう意味で今一歩という結論でした。残念ですが・・・」という返事でした。

 もう1社にもプレゼンしましたが、ほぼ同様のリアクションでした。

 今の出版界の現状は、流行作家や大御所はもちろん例外として、それなりの作家でも単行本で初版3000部があたりまえとされています。

 岡崎さんのためにも、なんとか・・・と私はかなり焦りました。

 その後、大手ではありませんが、実績のある三一書房へ持ち込んだところ、さいわいにもOKをいただきました。

 しかし、好事魔多しとはこのことで、企画がGOになったとたん、三一書房の倒産騒動に巻き込まれてしまいました。三一書房は五味川純平の『人間の条件』を大ヒットさせた出版元で、左翼的な傾向はありますが、出版社として長きに渡り中堅を維持した手堅い会社です。社長も石橋を叩いて渡る方らしく、社の利潤をこつこつとプールして、本社(文京区本郷)とは別に自前の倉庫(埼玉県朝霞市)を所有していました。

 昨今の出版不況で会社が傾いたため、朝霞の倉庫を手放し、人件費のかさむ高給とりの編集者のリストラを断行したのです。その渦中に至る直前に私の企画が通過したというわけです。この騒動は、朝日新聞などの三面に大きく取り上げられましたし、某ルポライターが経営者と社員の両者の主張や会社のロックアウト、裁判の経過などをまとめた単行本を出版したぐらいなので、出版関係に興味のある方なら、まだ記憶に留めている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 私もゲラのチェックや打ち合わせの度に、ロックアウトされた三一書房を訪ねました。

ギロリと私を凝視する組合員?(門番)の人に来意を告げ、要件を取り次いでもらってから、お茶の水駅前の喫茶店で担当の編集者と打ち合わせをするという妙な経験をしたものです。その後、三一書房は解体され、私を担当した編集者は解雇、私の原稿は新三一書房の別の編集者に渡りました。

 新旧の編集者の引き継ぎが十分なされておらず(冷静に考えれば当然ですけど)、嫌な思いもさせられました。最初の編集者は私の原稿の価値を認めてくださり、「これはぜひ上梓するべきだ!」と私を励ましてくれたりしましたが、新しい編集者はまだ年若く、ビジネスライクまるだしの態で、私にナメられたくない!という高飛車な態度で、閉口することもありましたが、こちらとしても出版を実現させるために活動しているわけで、私も耐えがたきを耐えたのです。

 その編集者とは、なかなか接点を見出しにくい中で、本書は映画史に残る名キャメラマンの伝記として本の装丁はハードカバー、紙も最上質紙を使用、岡崎さんが提供してくださった貴重な写真や資料も削除せずに載せて欲しいと主張しました。理由は単純です。私の構成力や文章力はとりあえず棚上げしても、書籍のつくりを岡崎さんの豊潤な撮影人生に見合う上等なものにしたかったからです。これは岡崎さんの希望でもありました。

 前作の失敗を繰り返したくなかったので、本の装丁や帯のコピーもアイデアを出させていただきました。結果3500円、2000部の初版でスタートしました。もし、私が主張しなければ、ソフトカバーで写真数も限定され、ページ数も削減され(現実に本書にある専門用語の解説の欄の有無でもめました)、紙の質も並製になり、価格は2800円、2500部のスタートだったと思っています。

そんなやり取りを繰り返すうちに、私は本書が売れなくてもかまわないと生意気にも腹をくくりました。いくら専門書としても値段が高すぎるからです。でも製本の質を落としたくないと思いました。私にも意地がありましたから。

 これから、本書を上梓したかった私のモチベーションを書きます。

 映画関係の書籍のほとんどが俳優や監督に限定されているし、同じ作者が同じ素材から二匹、三匹目のどじょうを狙ったように見受けられる本が多く存在するように感じられたのです。そういう点から一映画専門書のファンとして私には不満がつのっていました。もちろん、その手の本は購入せずに図書館などで借りて読み流してしまうのですが。なかには、撮影技術やキャメラマンに対して記述した本もありますが、キャメラマンが作品に多大に貢献している事実に反して、記述の量が乏しく、専門用語にも思いこみだけの誤謬が多いのが通例であり、私自身も「どうせ、われわれのことは・・・」などと諦観を決め込んでいました。しかし、前作「キャメラマン魂」が予想以上に好評(売れたという意味ではなく)だった勢いも手伝って、自分のモチベーションをあげ、「よし、わが師岡崎宏三を通じて、さらなる技術論を書きあげるぞ!」と一念発起したのです。

 その結果に対する評価は拙著をお読みいただき、その読後感を伺うより手段はないのですが・・・。

by 石渡)





映画撮影術 

 ポール ウィラー、Paul Wheeler石渡 均 訳

 フィルムアート社刊 (2002/2/16) 

 

 この翻訳書三冊はまとめて記述します。

撮影技術の専門書です。過去に良書がないわけではなかったのですが、数が限定され、バリエーションが少なかったのと、私が映画専門学校や大学院などで学生に撮影を教えているので、彼らに対し、自分なりに血の通ったテキストを作ろうとして私が選書し、訳出しました。

『映画撮影術』は自分からお願いした企画です。翻訳も含めた私の著作の中で一番売れた本です。三刷りまで重版できました。

 

 

 

 


デジタル映画撮影術 

 ポール ウィラー、Paul Wheeler石渡 均 訳

 フィルムアート社刊(2003/9/06) 

 

『映画撮影術』のおかげで『デジタル映画撮影術』はフィルムアート社から続編として翻訳を勧められたものです。当時社屋は四谷にあったのですが、そこへ打ち合わせなどで顔をだすと、心なしか「ようこそ」というような歓待ムードを感じるから不思議です。出版社の方が「儲けは少ないけど、損もしなかった」ときに使う「堅調」という言葉ではなく、「おかげさまで」に変わったわけです。担当の編集者の方ともよい雰囲気の中で『デジタル映画撮影術』の企画は進みました。私は「本が売れるということはつまり、こういうことか!」とヘンに納得しました。

 

 

 


映画監督・キャメラマンになるプロフェッショナル撮影技法 

 ブライン・ブラウン、石渡 均 訳 フィルムアート社刊(2007/9/26) 

 

『プロフェッショナル撮影技法』は私が原書にほれ込み、フィルムアート社を口説いて実現した企画です。本書のコンセプトは前二作が映画の撮影を学ぶ学生やプロの現場にいる撮影部を対象にした本ですが、これはサブタイトル「映画監督、キャメラマンになる」とあるように、読者層のターゲットを広げたつもりです(読者は基本的に不特定多数なので、結果は知りませんけど)。

 以上の翻訳三冊は、専門的な技術書のジャンルなので、ここで内容については言及しません。

 一般の読者で少しでも興味がある方がいらっしゃるなら、図書館で予約されることをお勧めします。地域の図書館にはなくても、都や県のどこかの図書館には蔵書されていると思いますので、よければご一読ください。(by 石渡)




 

NFCニューズレター(東京国立近代美術館フィルムセンター)

74号(20078月-9月号) 特集:逝ける映画人を偲んで(20042006 

 石渡 均 特別寄稿 ラストポジション

 

 これはフィルムセンターが隔月に発刊している小冊子です。20042006年に逝去された映画人の追悼記事です。74号で対象になった映画人は監督の野村芳太郎氏、石井輝男氏、脚本家の鈴木尚之氏、映画音楽家の伊福部昭氏など映画界に大貢献された方たちであり、それぞれに故人を知る人たちが追悼文を書いています。私には撮影監督の高村倉太郎氏、岡崎宏三氏に対する文を依頼されました。

 お二人の作品に共通する監督に私が大好きな川島雄三監督がいらっしゃったので,一端ではありますが、川島さんの作風を分析し、さらに映画のスクリーンの画面比の特徴を私なりに解説したところが本論の「きも」になっていると自負しております。

 この小冊子に興味のある方は京橋にあるフィルムセンターでお目当ての映画を見た帰りにでもバックナンバーの第74号(300円)をお求めになれば入手できます。最近、私がバックナンバーの在庫を確認したところ、まだ相当数があると聞きました。手数料がかかりますが、郵送もしてくれます。フィルムセンターのお問い合わせハローダイアル(☎0357778600)へ連絡するか、PCなどでホームページを検索されてもよいと思います。(by 石渡)





フィルムスクールで学ぶ101のアイデア

  ニール・ランドー (), マシュー・フレデリック (),

  石渡 均 (翻訳) フィルムアート社 (2011/5/26)  

 

 技術書三部作の翻訳で、編集長の、私に対する信頼があったのか?定かではありませんが、これは出版社から依頼された企画です。フィルムアート社のコンセプトとして、本書は「豊富なイラスト+短いセンテンスで、本質をわかりやすく伝える〈101のアイデアシリーズ〉第4弾!」とあるように出版社主導の企画ものです。シリーズとして、建築、料理、ファッションデザインなどフィルムアート社が新機軸として映画のみならず、さまざまなジャンルを開拓するというコンセプトに基づいたものだと思います。

 原作者のニール・ランドー氏は、ロサンゼルスで活躍する脚本家で、本書は映画全体について記述してありますが、主にシナリオライターや監督を目指す若者が対象になっています。私はいままで技術書の翻訳だけだったので、これは新たなチャレンジだ!と勝手に自分に言い聞かせながら訳出を始めました。原書はさきのコピーにあるようにかなりの短文なので、前三作とは比較にならない文章量でした。ちなみに『プロフェッショナル撮影技法』は、400字詰め原稿用紙にびっしり書いたとして736枚ありましたから・・・

 原作者がシナリオライターだからなのか分かりませんが、文章の内容が抽象的、比喩的で大変に苦労しました。訳出の途中で編集長に音をあげたら、氏曰く「今回のシリーズの翻訳を担当された方みなさん、石渡さんと同じ感想なンですね。原作のイメージをしっかり掴んでいただければ、思い切って意訳してもらって結構です。もう前宣伝も打っていますから、原稿の締め切りだけは守ってください。ソコントコ、よろしく!」「よろしくっていわれても・・・!」としばらくへコミましたが、もう仕事を受けた以上、やるしかない!となかばヤケクソになり、原書に取り組みました。

 最初に、私のアプローチを述べていきます。

 原書をまえに、私が日ごろ愛用している手頃な英和辞典や留学中に入手した英語版の映画辞典、さらに広辞苑か大辞泉に相当するような分厚いランダムハウス英和大辞典を引いていくのですが、文章が抽象的なために、なにが書いてあるのかは理解できるのですが、原作者がなにを書きたいのか、つまり意図そのものが理解できない個所につき当ってしまうのです。そこで私の思考が停止しますので、訳が進まない状態に陥るのです。

 そんなとき私は翻って、辞典に頼らず、これまでの撮影人生を振り返り、また留学体験や米映画の合作で経験した知識、さらに映画教育機関の講師経験として日頃学生に何を伝えればよいのか・・・などの思いまで総動員して、原作者は「なにが書きたいのか」をイメージすることに集中しました。

具体例を二点あげます。両方ともページのタイトルになっている個所です。

 

① Burn your character’s bridges.

② Let it go, already.

 興味のある方は翻訳にチャレンジしてみてください。英語講座ではないので解説は致しませんが、結果だけをお知らせします。

 

① 登場人物を追い込め!

② それはそれ、早く次回作にとりかかる!

 

 ・・・いかがですか? けっして自信満々でいるわけではなく、なにかもっと適切な訳はないものかといまだに思っているのですが(後の祭りですけど)。

 本書のタイトルには体言止めや、命令形、!が多いのは短文ゆえにセンテンスのインパクトを強めたいと言う私の意図からです。

 ここであらためて本書の訳出に協力してくれた友人を紹介したいと思います。私も参加させていただいている文芸同人誌「澪」の編集長であり、私の幼馴染の親友多田陽一君です。私が訳出を終えた段階で、何点か引っかかる個所がありました。つまり、今回のワークは私の主観が入っている部分が多かったからです。    

 そこで、英語が堪能な彼にセカンド・オピニオンを求めたわけです。親友だけに大変に協力的な態度で接してくれまして、セカンド・オピニオンどころか、ファースト・オピニオンを凌ぐ助言を得て、出版にこぎつけられたというのが正直な感想です。もし、彼の適切な助言がなかったら、いったいどうなっていたのか・・・? 

 わが語学力の貧困に冷や汗をかいた次第です。(by 石渡)





このショットを見よ ──映画監督が語る名シーンの誕生 (CineSophia) 

 大林宣彦、塚本晋也、入江悠、 真利子哲也 (2012/9/25)

 

 フィルムアート社の編集部が企画した Cine Sophiaシリーズの第三弾です。

内容は、現在活躍中の映画監督29名の自作のなかに存在する「決定的なショット」について言及した文章を集成した本です。

 私はそのなかで「ショットの技術論・能動的な現場のために」というコラムを社の依頼で寄稿しました。文中にある専門用語の解説が必要だと思ったので、字数の制限は超えたのですが、編集者の方とも相談して原稿に追加させてもらいました。(by 石渡)

N小説【蛍を削る】

市民文芸ごてんば 第25号に掲載

 

 きっかけは、たまたま読んでいた御殿場市の広報誌でした。

「市民文芸ごてんば 第25号原稿募集」という一行が目にとまりました。内容を確認すると、小説や詩、短歌、紀行文など、ぜんぶで7つの文芸ジャンルについて、御殿場市が主催者となりコンクールをおこなう、というものでした。

作品の締め切りは、平成26年5月31日となっていました。広報誌を読んだのは4月でしたが、ちょうど、3月末に、「澪」第4号に掲載する予定の原稿を書き終えていたわたしは、多少の手持ち無沙汰も感じていたのでしょう。「よし、応募してみよう」と奮起したのです。

 9月になり、市役所から一通の封書が届きました。応募していた作品が、小説部門の優秀賞を受賞した、というお知らせでした。その後、12月13日に表彰式があり、御殿場市長から直々に賞状を授与されました。

受賞作『蛍を削る』は、九州から越してきた夫婦が、慣れない静岡の土地で、悪戦苦闘しながらも、前向きに生きようとする姿を、コメディタッチで描いたものです。

この小説は、作者的には、とても書きやすかったです。なぜかというと、わたしの生まれ育った故郷である、九州の方言を登場人物たちにしゃべらせているからです。自分の身体に馴染んだ言語を使用すると、創作の負担が少ないのかな、などと考えたりしました。(そんな自己分析をしているようでは、まだまだなんですが……)

 結果を求めることが、文芸活動のすべてではないことは承知していますが、まだまだ若輩の身にしてみれば、受賞することにより、以後の創作に対するモチベーションが向上します。

文学賞や文芸賞への挑戦は、ちいさな[目標管理]の一環として、有効に活用すべきだと、わたしは思います。

 

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『市民文芸ごてんば 第25号』は、御殿場市役所にて一冊五百円で販売しています。詳しいお問い合わせは、左記まで。

御殿場市役所文化スポーツ課文化振興スタッフ

 電話 0550―82―4319