【「プロペラ地蔵」石渡均】
 相模原市の小田急線の付近をオダサガというそうである。主人公は、作者と等身大らしきプロのカメラマンで、写真家育成専門学校の講師もしている。若い頃は時代のニーズにマッチした写真集が出せたが、年齢が高くなると、写真集が売れなくなる。そこから妻から離婚の申し出を受けている。その設定が自由な精神と行動を可能にし、物語化に便利である。
 相模原の町のいわゆるそこらの風景描写が、さすがカメラマンと思わせる。丁寧さが光る。弘明寺や戸越銀座の場所も懐かしい。プロペラ地蔵の怖しいような逸話にも存在の説得力がある。だが、話の軸は、教え子や、紹介されたカメラマン志望者たちの自殺してしまった若者の話になっている。
 三人の自殺者の関わりを描くが、彼等の内面に迫ることができない。どうにか化出来なかったのか、という思いは伝わるが、世代の異なる自死者たちの心はわからない。この分からないことの報告の作品となっている。
 散漫のような話の手順だが、読んで飽きない。多様性のなかで、妙に集団性が崩れない日本社会の描き方の一つであるかも知れない。

 

【「大池こども自然公園生態系レポートⅡかいぼり編(下)」鈴木清美】
 池のかいぼり作業が、テレビ番組にもなった。自分も、かいぼり後の井の頭公園に行ってレポートをしているので興味がある。
 ここでは、地元の写真家による横浜・旭区の「大池」のかいぼりと、その地域の歴史、生態系がレポートされ、見事な写真もある。とくに、外来魚アリゲーターガーの水面浮上の写真が見事にキャッチされているのが、すごい。アリゲーターガーは、自分が大田区の吞川の近くに住んでいた時に、池上本門寺近くの川にガ―が3匹はいるらしいという目撃情報があった。それが5、6年前から目撃されている、というので、時折、川沿いを探したが見つからなかった。ところが横浜の外来種捕獲ボランティアがやってきて、捕獲した。テレビ放送までついて、見事2匹を捕獲した。
 また、自分はライブドアのネット外部ニュース記者として、多摩川の「お魚ポスト」を取材した。たしか稲田堤の近くだった。現場で池の写真はとったが、管理者に会うことが出来ず、ボツ記事にした記憶がある。それはともかく、ここでは、外来種生物との生態系を乱さない共生的思考などが記されている。また、池の魚や野鳥への一般人による過剰な餌やりなどの問題提起がある。
 同感するし、実際に独り暮らしの友人が、野良猫に餌やりするので、近所からクレームをもらったりし、当人も癖になり、病のようになっているので、他人ごとではない。とにかく、こうした記事は、フクションより面白いところがある。

 

【「ウメとマツ」鈴木容子】
 ウメとマツは、よしお君が飼っていた猫の名前である。話は昭和50年から60年頃のものだが、ポイントは視点がよしお君だけでなく、猫にも移動したように書かれている。短編で視点の移動は、失敗するとされている。だが、ここでは、それが欠点というより、自然で人間の幻想を見る存在としての進化の途中であるような現象に読めた。

 

【「針鼠二人」上田丘】
 タイトルから、守りの堅い人間同士の話かな、と思って読んだら、若者のカップルの心理が描かれていて、当たらずとも遠からず。理屈っぽいところのあるひとつの男女交際風俗風景。

 

【「十五分後」衛藤潤】
 都外のデパートの屋上の観覧車の係員になった予備校生の時松が、客とゴンドラに同乗することがあり、それが評判になって制度化する。
 そこで、時松自身が同乗した人たちの記録のような話。変わった設定で面白い。無関係の人の語る話を聞くという軽い読み物で、これもまた現代風俗のひとつか。

 

【映画評「カツライス・アゲイン!『ど根性物語・銭の踊り』」石渡均】
 勝新太郎と江利チエミが主演で、市川昆監督の映画の話だが、自分は見ていない。しかし、ヌーベルバーグの幾つかは見ていたので、状況説明は面白く読める。また、撮影の裏話と作品批評が一体となっているのも、興味をそそる。特に、市川昆監督のカメラの個性が生まれるための条件がわかって、なるほどと思った。

 

【「ハイデガーを想う(Ⅱ)下・柏山隆基」
 外国哲学というのは、用語の翻訳がまず困難として立ちはだかる。この作者の用語の説明は、翻訳語の日本語解釈のイメージづくりに参考になる。ただ、認識についての定義なので、範囲は限られている。自分は、雑誌「群像」に連載の中沢新一「レンマ学」を読んでいるが、不立文字の認識と哲学的な日本的解釈の違いを感じる。

 

文芸同志会通信